ペットと仏教の関わり
2019年5月7日
ペットと仏教の関わりにつきましてまずお伝えしたいことは、ペット葬儀において、亡きペット達には宗教の概念は必要ないので固定概念に縛られずに飼い主様の気持ちの赴くままにお別れに集中をしていただきたいと考えております。
例えば
- 「お坊さんを呼んだほうがいいの?」
- 「四十九日に納骨をしたほうがいいんでしょう?」
- 「ペットの遺骨は人の仏壇の近くには置かないほうがいいんでしょう?」
などです。
人の葬儀のようにわざわざ僧侶を招かなくても良いですし、できる限り生前同様に家の中に遺骨を置いておきたいのでしたら置いておいていいのです。
先に亡くなったご先祖様が可愛がっていたペットでしたら仏壇の近くに置いてあげたほうがご先祖様もペットも喜ぶことでしょう。
ここで言いたいのは決して宗教的思考がペットにとっては不要ですという訳ではございません。
わたしが先に申し上げた『飼い主様の気持ちに赴くまま』が宗教儀式を執り行うことでしたら、もちろん飼い主様の宗旨宗派に合わせた僧侶を招いて読経していただいてもよろしいかと思いますし、家族皆様で読経してお手を合わせてお見送りすることも良いお別れになることかと思います。
一番重要なのは、【飼い主様の気持ちが納得すること】です。
仏教の宗派
代表的な八宗派が、
天台宗・真言宗・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派・浄土真宗大谷派となります。
今回は浄土宗と浄土真宗の経典『阿弥陀経』について、どうぶつとの関わりある話も合わせて綴りたいと思います。
下記に経典に説かれてる一部を抜粋します。
- 「第四に願ずらく、〈某作仏せしめん時、わが名字をもつてみな、八方上下無央数の仏国に聞かしめん。みな諸仏おのおの比丘僧大衆のなかにして、わが功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民、蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ〉」と。〈『註釈版聖典』「教行信証 行巻」引用文より〉
- [現代語訳]わたしが仏となったときには、わたしの名号(南無阿弥陀仏)をすべての世界の数限りない多くの国々に聞こえわたらせ、仏がたにそれぞれの国の比丘たちや大衆の中で、わたしの功徳や浄土の善を説かせよう。それを聞いて神々や人々をはじめとしてさまざまな虫のたぐいに至るまで、わたしの名号を聞いて、喜び敬う心をおこさないものはないであろう。このように喜びあふれるものをみなわが浄土に往生させよう。わたしは、この願いを成就して仏となろう。もしこの願いが成就しなかったら、決して仏にはなりません。
蜎飛は飛び回る小虫、蠕動は地にうごめくウジ虫のこと。ここであえて動物ではなく虫が書かれているのは、人間から見て「特に救われないだろう」と考えられる存在であるからではないでしょうか。
仏さまからしてみれば、人間も動物も魚も植物も微生物も虫も変わりありません。他の生き物が救われるかどうかは私たちには理解しにくい話ではありますが、少なくとも阿弥陀如来は人間であろうと動物であろうと虫であろうと間違いなく救うと仰っている仏さまであることはお経から感じ取れます。
そして、仏教には宗派の隔たりなく『六道輪廻』(ろくどうりんね)というお話があります。
六道とは、仏教において、命あるものが生涯を終えた後に輪廻転生する六種の世界のこと。
六道には六つの世界が存在
天道
六道の中では楽しみの多い世界ですが、極楽浄土とは違って、やはり迷いの世界で、悲しみもあり寿命もあります。年をとってくると、それまで楽しかった分、地獄以上の苦しみを受けます。
人間道
人間道は人間が住む世界です。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされています。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもあります。
修羅道
修羅道は阿修羅の住まう世界です。修羅は終始戦い、争うとされています。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界であります。
畜生道
畜生道は動物や鳥、昆虫の世界です。
弱肉強食で、自分より強い生き物に突然襲われて食われてしまう
理不尽な世界ですので、常に不安に怯えています。
因果の道理が分からず、幸せな人をねたみ、他人の不幸を喜ぶ愚痴の心で畜生に生まれます。
餓鬼道
餓鬼道は飢えと渇きでガリガリにやせ細り、骨と皮になって苦しむ世界です。
それでも食べたい物も食べられず、飲みたい物も飲めません。
生き物は殺していないけど、欲深く、ケチな人が餓鬼に生まれます。
地獄道
地獄道は罪を償わせるための世界です。この世の一番の苦しみを一滴の水とするなら、地獄は海の水のような苦しみだとも説かれます。
その期間もケタ違いに長い、果てしない苦しみの世界です。
仏教では、私たちは、これらの六つの苦しみの世界を、遠い過去から、今日まで、生まれ変わり死に変わりを続けてきたと説かれています。
そして、車輪が際限なく同じところを回るようにこれからも未来永劫、生死を繰り返し、苦しみ続けて行くと説かれています。
浄土真宗ではこれらの六道輪廻を断ち切って、亡くなればすぐに極楽浄土にいけますという優しい教えですが、ほかの宗派でも永く険しい修行の後には極楽浄土にいけるという教えで説かれております。
目指すべき場所は同じですが通る道が違うということで仏教には多くの宗派が存在している所以となります。
素敵な法話
以前、ペット葬のお勤めをしていただいた僧侶が、六道輪廻のお話をペットに寄せて御法話をしてくださったことがあります。その方がこのようなことを仰っておられました。
「皆様が可愛がっていた犬や猫、その他のどうぶつたち。御縁あって皆様の家族になったその子達はたくさんの笑顔と愛情を家庭に与えてくれたことでしょう。私たち人間が日頃、生きている中で起こる様々な悩みや苦しみを癒してくれたことかと思います。それは家族として欠かせない存在です。本来、どうぶつは六道の畜生界という場所で輪廻転生されていますが、生前に人のために徳を積まれたどうぶつたちは人間界に転生され、次は人として生まれ変わってくれることでしょう。」
と説かれていらっしゃいました。
それは、本来ある仏教の話よりもとても、温かく素敵な御法話でした。
昔と今ではどうぶつへの扱いや考え方が違います。
現代では、この僧侶が説かれたようなお話が正しいのかもしれません。
大森ペット霊堂は僧侶を呼ぶことができます
大森ペット霊堂では通常の葬儀プラン以外にもご希望に応じ、僧侶を招いて葬儀式を行うことも可能です。
その際にはご家族様の宗派に合わせることももちろん可能ですので何なりとお申し付けください。
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